死ぬのが怖い?! ソクラテス

人間ドックにかかり、命に係わる病気を疑われたりして「死」というものをリアルに感じるきっかけがあると、やっぱり死ぬのは怖いと感じます。
まだ自分は「死ぬ覚悟」はできていない、ということに気づかされてしまいます。

古代ギリシアの哲学者プラトンは、次のように言っています。
「なに、ー死ぬのが怖い? それは、生き延びることばかり考えているからだ。もう、いつ死んでもいいと思うような幸福などは、しょせん物質的な偽の快楽に過ぎないのだよ」と。

古代ギリシアでは、紀元前5世紀ころには市民が選挙や裁判など、公共の場で自らが表に出て話すことが盛んでした。
でもその中身は、真実かどうかが重要なことではなく、とにかく相手をやり込めることが肝心で、そのための弁論術を身につける需要が高まっていました。
そんな荒んだ風潮を立て直そうと、ソクラテスは「大切なことは、ただ生きることではなく、良く生きることである」と説き伏せて歩きました。
「ただ生きる」とは、本能の赴くまま「金銭欲」、名誉や地位への「出世欲」、「自己顕示欲」をむやみに求める生き方のことを指します。

では「よく生きる」とは、どう生きることでしょうか。
ソクラテスは「何が何でも生き延びようとする本能に逆らう生き方」のことと言いました。
さらに、物質的、肉体的な快楽は、むしろ「魂の健康」を邪魔するから、いっそ魂は肉体を離れるべきと言いました。
魂が肉体を離れるとは、生きながらにして「死を予行演習」せよ、ということなのです。

金も地位も名誉も、肉体を満たして得られる快楽も、肝心の魂が優れていない限り、真実の幸福にはたどり着かないといいます。
死ぬのが怖いとすれば、その「生」が「ただ生きる」という肉体的次元にとどまっているからだとソクラテスは言うのです。
だから魂を優れたものにするために「死の予行演習」をしなさいと訴えているのです。