死ぬときに後悔すること

ホスピス医の話し

明日死ぬかもしれない、と限られた人生を精一杯生きようとする人は後悔が少ないといいます。
1日1日、最善を尽くそうとしているからです。
「私の人生は、実にあっという間の出来事だった」これは、等しくみんなが言い残した言葉です。
それまでに、したいことができていたのか、その実現度に後悔の量は反比例するといいます。

死ぬ前に後悔するのは夢が叶わなかったことではなく、むしろ夢を叶えるために全力を尽くせなかったことにあるようです。
全力で夢を追いかけ、最後にどうしようもなくなって夢を手放すことになっても、その場合の後悔は少ないといいます。

強者といわれる人たちも、死期が迫り、自分も弱者の立場になると、自らのこれまでの行為を悔いる人が多いといいます。
「私はやさしさが足りなかった」
「自分が成功するために、多くの人を犠牲にしてきた」
反対に、人にやさしくしてきた人たちは、死期が迫っても、自らにやさしくできるため、後悔する人は少ないといいます。

どんなに成功しようと、いつしか「死」は等しく眼前に現れることなります。
そのときに、成功体験を積み重ねてきた歴戦の勝者は、なかなかそれを受入れられないといいます。
歴戦の勝者でも、自分をはるかに凌駕する超自然的な摂理が、世の中には厳然と存在することに改めて気がつくからでしょう。

生きていることが幸せで、死ぬことが不幸ならば、人生の最後は不幸ということになってしまいます。
このように考えると、人生は負け戦で終わってしまいます。

本当か嘘かは知りませんが、人は現世に「修行するために生まれてきた」と聞いたことがあります。
修行ですから、現世で生きていくのは辛いことが多いです。
ですから、あちらの世界から現世に子供を送りだすときには、「つらいことも多いけど、頑張ってきてね・・」と泣きながら送り出すのだといいます。
現世では、子供が誕生するとみんなで大喜びします。

そして現世で生を終えると、私たちは泣いて悲しみます。
ところがあちらの世界では、現世で修業を終えて戻ってきた人に「よくがんばった。よく帰ってきたな・・」と歓迎されるのだといいます。

現世では「誕生はめでたいもの」かもしれませんが、あちらの世界では「悲しむもの」になります。
現世では死は「悲しくつらいもの」かもしれませんが、あちらの世界では「祝福するもの」と、価値観が正反対になります。