最期の跳躍

ガンになった緩和ケア医が語る 関本剛

人生の終わりを意識した人間が、周囲の人間に思いを馳せ、感謝の気持ちを表明するということは、しばしばみられることである。
何らかの理由でケンカ別れしたり、不義理を働いたことで疎遠になってしまった人に、一言謝罪し、和解したいという願望を吐露する患者さんもいる。

人間が人生の最期の最期に「真の姿」を見せるというのは、ある意味で本当のことなのかもしれない。
まだ体が動くうちは虚勢を張ることができても、働くことも難しい時期に入れば、今更本当ではない自分を演じる必要はなくなり、すべての虚飾が排除された、真の人間の姿がそこに露出される場面をしばしば見てきた。

人は生きてきたように死んでいく。
愛と感謝に満ちた人生を送った人は、最期に感謝の言葉で人生を締めくくり、不平と不満だらけの人生を送った人は、最期まで「文句たれ」で終わる。
看取りを重ねると、そういった傾向を感じることが多い。
ただし、それは人間が変わることのできない存在だという意味ではない。
むしろ、周囲が驚くような変化が起こりうることを示唆している。
それを最期の跳躍と説明されている。