日本よ、さらば!

人のご縁ででっかく生きろ 中村文昭

長距離を移動したい時には、トラックの運転手に「荷下ろしを手伝うから乗せてくれ」と頼んで荷台に乗せてもらいました。
生きるために何をすべきか、常にそれと向かい合った日々だったのです。
乞食時代にも幼少期にも共通するものは、どうやって人に好かれるようにするかです。
その時は無意識だけど、こうすれば「おーい、飯食っていけよ」となるはず、というシナリオみたいなものは、常に頭の片隅にはあったように思います。
だからこそ、人に喜ばれることは率先してやったといいます。

乞食歴4年。
その頃には、何をしても食っていけるという自信もついていたといいます。
こうして宮田さんは、20代のスタートを海外でと考え、「日本よ、さらば」とばかりに、20歳の誕生日にパリに飛び立ちました。
その頃は、日雇いの肉体労働で稼げるようになっていましたから、そうして働いたお金で買ったチケットは片道分。
パリにした理由は簡単で、その時チケットが一番安かったからです。
国内とは違って、金はない、知り合いはいない、さらに言葉は通じないとくれば、「さあどうする?お前の人生?」と普通の人なら弱気になるところですが、逆にそれが刺激的で、宮田さんは見知らぬ地への期待感を膨らませたのでした。