日常生活とは

毎朝同じ時間に起き、満員電車で出社する。
毎日同じような業務を終え、また満員電車に乗って帰宅する。
朝起きて、食事の支度をして夫と子供を送り出し、掃除と洗濯をして昼は仕事、帰宅後夕食の準備、そんな毎日。
来る日も来る日も、同じ生活の繰り返し。
「生きている」という実感もなく、このまま年老いていくのだろうか?という焦りが起きることもあります。
本当にこのままでいいのだろうか?と、空しさを抱いている人は少なくないでしょう。

「何でもない日常にこそ、人生の悟りを得る機会が潜んでいる」と道元はいいました。
取るに足らないことや、毎日の細かい仕事こそ、悟りに至る修行であり、それは座禅に通ずることなのだというわけです。
毎日行っている仕事を何かに役立てるという考え方をやめて、「今、目の前のやるべきことに徹する」ことが大切なのだといいます。

「自己とは何か」の意味することは、「自分を忘れる」ことであると道元は説きます。
歯磨きをしていると、不思議ですが自意識が小さくなる効果があるそうです。
掃除、炊事、トイレなどの日常茶飯事は、座禅と同じ効果(自分を忘れる)を期待できます。

つまり、日常の些事や生活すべてが「禅」であるというわけです。
つまり、日常生活それ自体が修行であり、精神を1つの対象に集中することによって、その真の姿を知ろうとする立派な行為なのだということです。

日常生活において、「目の前のことに全力を尽くす」ことが、大切な修行というわけです。