愛は無償

心の中で相反する欲求が同時に起こり、これは病的かなと思ってしまうこともありますが、葛藤していることはむしろ健康的だという説に巡り合いました。
何故なら、問題意識を抑圧して意識下に追いやっていないからだそうです。
しかし人間はスッキリしたいものだから、やっかいな事はなるべく考えずに、早く意識下にしまいたくなります。

問題や悩みを意識下に追いやると、その時は割とスッキリして葛藤はなくなりますが、そのうち何かのきっかけで抑圧された感情が表面に現れてパニックになることがあります。
やっぱり実際あるべき問題や悩みは、その場できちんと向き合って、自分なりの結論を得てから、意識下にしまう方がいいようです。
そうすれば、その問題が意識に再度現れても、一度出した結論からスタートして考えればいいわけですから。

話は変わりますが、人の為に善いことをすると書いて「偽善」と読みます。
なぜ人の為に善いことをするのに偽善なのかと思いますよね。
それは、偽善の中に「同情心」が潜んでいるからです。
「私はやってあげた」「感謝して欲しい」「善い人と思われたい」という感情が潜んでいる場合には、偽善になるからです。

「愛」とは、相手が相手らしく幸せになることを無条件に喜ぶ気持ちです。
「愛」に欲望が入ると、所有欲になり憎しみを産みます。
「愛」は無償であり、見返りを期待することはありません。