思い通りの死に方

中村仁一医師と久坂部羊医師の対談から

誰でも若いうちは長生きしたいと思いますが、いざ長生きをしてしまうと「こんなはずじゃなかった」と嘆く人が多いんです。
多くの人は、長生きの人はみんな元気だと勘違いしていて、認知症や寝たきりのことは考えません。

私が診ている患者さんの中にも「早く死にたい」と訴える人がたくさんいます。
「あちこち痛いし、目や耳も悪いから読書もテレビもラジオも楽しめない。旅行どころじゃないし、おいしいものを食べてもむせて呑み込めない。家族には邪魔者扱いされて居場所がありゃせん」という人が何人もいます。

皮肉なことに、ずっと健康に留意していたがために、長生きしてしまう人もいます。
タバコでも酒でも身体に悪いことをしていれば適当なタイミングで死ねたのに、と思っている人だって結構いるんです。

命が助かるということは「元通りになる」と同じ意味で理解していませんか?
一命を取り留めましたが植物人間になりました、という想定は考えたことがないのでしょうか。
植物人間ならまだいい方です。
あちこちから出血して、顔がパンパンに腫れて、髪の毛が抜け落ちて、皮膚も黒色に変色し、やがて足の先から腐っていく・・という状態になっても、一命を取り留めたといえるんです。

大学病院は治る患者の専門病院なんです。
治らない患者さんにベッドを占領されるわけにはいかないので、手の施しようがない患者さんはどんどん他の病院に回すんです。
まあ、還暦を過ぎたらガン検診や人間ドックなんか、もうやったらいかんです。
ガンを早期発見したら、自覚症状もないのに苦しい治療を受ける羽目になります。
高齢者医療の現場で、90歳を過ぎても死ぬに死ねないで苦しんでいる人たちを見ていると、早く死ねるのはありがたいと思います。
ガンになるのは「ちゃんと死ねるよ」というお墨付きをもらうようなものだから、ある意味ありがたいと思います。

医者もガンで死にます。
患者のガンを診断して治療する立場なのに、自分のガンを見つけられない医者が多いんです。
これだけ見ても、医者に任せば安心というのは嘘だと分かります。
それに、そもそも医者はガン検診を受けない人が多いですから。
ということは、医者だってガンの治療で苦しむのは嫌だという証拠なんです。