心の持ち方 2

死が差し迫った人にとって、何のために生きるのかの「何」は、哲学的な命題ではなく、日常をどのように過ごすかという具体的な目標なのだといいます。
つまり、やらねばならないことに囲まれた日常を維持することで、死という非日常を乗り越える、あるいはやり過ごすことを目指すというのです。
奈落に日常を持ち込むことで、生と死を一続きの人間の営みと捉え、人の生活の中にある自然な死を実感し、気持ちを立て直し、這い上がることができるというのです。

「山で死ねれば本望」
「舞台の上で死ねれば本望」
と聞いたことがありますが、これらもそういうことなのだと思います。
「明日はこれをしよう!」
「ここに行ってみよう」
など、希望しながら死んでいくのが一番自然な逝き方なのでしょう。

奈落に落ち込んだ主婦が自分の死後一人残される夫が困らないように、あれこれ教えてやらなければ・・と思えたとき「こうしてはいられない!!」とばかりに元気になったといいます。

「人は誰でも、心の奥に安心できる心を持っている」
「生きていて、まだ役に立つことがあると思える人は安心できる心に近づける」
「生きているということ、それだけで人の役に立つことがある」
「辛いとき、周りの人の支えは大きい。それを受入れることができれば救われる。知識は、ほとんど役に立たない」
「死とは・・・心は・・・残された人に受け継がれる」