後悔を抱えたまま生きていく

大切な人を亡くした後、「ああすればよかった」「これもしてあげたかった」という後悔は、どうしても残ります。
「年老いた親に、なぜもっとやさしく接してあげられなかったのだろう」という気持ちに苛まれるのです。

ガンでご主人を亡くした女性を、僧侶に紹介した人がいました。
彼女は「夫に、最期までがんを告知することができなかった」ことを今でも悔やみ、うつ状態になっていました。
「もし夫が病気を知っていたら、残された時間でやりたいことができたのかもしれない」と、自分を責め続けたのです。

僧侶は、一か八かでこう聞きました。
「多分ご主人は、頭の良い方ではありませんでしたか?」
彼女は「はい」と答えました。
「多分、ご主人は病名を知っていたに違いありません。だって、手術しても治らず、日に日に具合が悪くなっているのだから、ただ事ではなかったと思うのが普通です。あなたが何も言わなくても、自分の病気のことは気づいていたはずですよ」
「・・・」
「ご主人はあなたに、病名を教えろと言いましたか?」
「いいえ」
「ご主人は全部分かっていたんですよ。あなたが、病名を告げられない気持ちもすべて分かって、亡くなったに違いないと思いますよ」

僧侶がそういうと、彼女は堰を切ったように泣き始めました。
女性はきっと、誰かから「ご主人は知っていたんですよ!」と言ってほしかったのでしょう。
第三者から「あなたは間違っていなかった!」と言ってもらうだけで、救われることもあるのです。

後悔を打ち消す必要はないと言います。
「後悔を抱えたまま生きればいいのです」と僧侶は言います。
なぜなら、その後悔の中に「意味を発見する」ときが、必ず来るからです。