岸壁の母 3

昭和29年9月、厚生省から、いせさんの元に、新二さんの「死亡認定理由書」が届いた。
「お母さんによろしく」と言い残して倒れたのを目撃したという戦友の証言まで添えられていた。
さらに昭和31年9月には、東京都知事から「死亡告知書」が届く。
それでも母は、我が子が生きていると信じた。
戦地から帰った人に次々と手紙を出したり、テレビに出演して何とか息子の消息を知りたいと訴え続けた。

平成12年8月、ついに新二さんが中国で生存していることが明らかになった。
母が信じた通り、息子は確かに生きていたのである。
だがそれは、母が亡くなってから19年後のことだった。
信二さんは、ソ連との戦闘で負傷し、シベリアに抑留されていたのである。
その後どのように生きてきたのかは、多くを語らなかった・・・。