子どもとは我慢を強いられる存在

いい言葉がいい人生をつくる 斎藤茂太

われわれの子ども時代、子どもとはひたすら我慢を強いられる存在だった。
何かが欲しいといえば、正月になったらとか、成績がよくなったらなどと言われ、その日まで欲望を抑えて待つことを教えられた。
2番目、3番目に生まれた子など、上の子の使い古しのお古を使わされた。

昔は貧乏で、モノが不足していたからだろうか。
私はそうは思わない。
昔の親は辛抱させる、我慢させることがいかに大切な意味を持っているかを、体験上、熟知していたからだろうと思う。

最近の子は、おもちゃ屋が引っ越して来たかと思うくらい玩具に囲まれ、多くの場合、2人の両親と4人の祖父母から可愛がられ放題に可愛がられる。
欲しいものは何でも手に入り、足らざることを知らぬまま育った子どもたちに、欲求不満に耐えられる気持ちが発達するわけがない。