反省

わたしの落書帳から

若いときは、「俺がお前たちに飯を食わせてやっているんだ!」と慢心してきた。
その結果、妻から見放され、古希も見えてきた今、孤独の世界をさまようことになっている。
今自分は変わってきている。
でも、半世紀近い過去の過ちを消すことは容易ではない。

絶望は神さまがくれたプレゼント。
徹底的に絶望を味わないと、「自分の枠」も「自分の価値観」も壊せない。
絶望や燃え尽き感は、「もうあなたは、どんな試練にも立ち向かえる準備ができたよ!」と、神さまからご褒美に味わさせてくれるものに違いない。

わたしは結婚してから、ずっと何かの準備のためにお金を貯めてきた。
教育費、家の購入費、身体を壊したときの生活費、老後の費用など・・・。
そのときの楽しみを我慢して、ずっと先の夢のために生きてきたような気がする。
今を楽しまなくて、一体いつ人生を楽しめばいいのだろう。
病院のベッドの上で、病と向き合って、やっと開き直ることができるのだろうか。
「でも、そのときではもう遅すぎませんか?」と自分に問う。

自分が存在しているかも分からない未来のために、目の前の些細なことを楽しむことを放棄するような生き方はやめることにした。
力を抜いて、流れのままに生きるようにしようと思う。
それが、欲望と執着心からの解放につながると信じて。