勉強という道具

「手紙屋」 喜多川泰

では、電気という道具は何のためにあるのでしょう。
夜でも明かりがつく。
冷蔵庫が使える。
エアコンやテレビや電子レンジも使える。
電気があることによって利用できるこれらはすべてのものは、広い意味で言えば、私たち人間生活を便利にするために作られているのです。
というわけで、電気は私たちの生活を便利にする道具であるという点では共通しています。
ですから、生活を便利にするために使っているうちは正しい使い方だけど、自分や他人の生活を不便にしたり、傷つけるような使い方は間違っていると言えるわけです。

勉強という道具を使えば、大学生活が手に入るというのは事実ですが、大学生活を手に入れるために勉強という道具があると結論付けることはできません。
ましてや、私は大学に行かないから勉強は必要ないと考えるのも、やはりおかしいというわけです。

勉強という道具を使うことによって手に入れられるものをあげてみましょう。
まず忍耐力を鍛えることができます。
どんなに勉強が楽しいという人でも、続けていくうちに壁にぶち当たるもの。
それを超えるのは忍耐のいる作業です。
次に、勉強によって自信を手に入れることができます。
何度も壁を乗り越えることによって、小さな成功をたくさん経験することができます。
他にも、記憶力、判断力、応用力などが鍛えられ、ひいては脳を活性化することができます。
また人からものを習うことによって、素直な心を学ぶことだってできます。
忘れてはいけないのは、勉強という道具を使うことによって、いろいろな人の気持ちが分かるようにもなります。