利他へのチャレンジ

病気にしても、老いることも、この世は自分の思い通りになりません。思い通りにならない人生の中で、どう心の平安を感じることができるかが問われているのだと思います。

自分に起こるできごとには、すべて意味があるのかもしれません。
私たちは将来に向けて「夢」や「希望」、そして「目標」を持って当たり前と思って生きてきました。
そうやって目標を立て、希望を持って、頑張って夢が叶うとどうするでしょうか?
夢が叶ったと満足せずに、次々と目標を上方修正していくのではないでしょうか?
これを繰り返していくのですから、将来への希望は永遠に叶わないことになります。

将来への希望は叶わない、これでは幸福感は味わえません。
そこで、自分の希望がある程度叶っているとしたら、今度は視線を自分のことから、周囲の希望に向けていったらどうでしょうか。
この生き方は、特定の自己の実現ではなくて、自己の輪郭への挑戦です。言ってみれば「自他」から「利他」へのチャレンジです。

「裸で生まれてきたのに何が不足」
老子が「足るを知る」という言葉を残してくれましたが、これは生きるために必要なものは「すでにすべて与えられている」という考え方です。
自分の生きる土台がある程度整備されたら、将来への目標や希望に汲々とするのをやめてみたらいかがですかということです。

されば、ああ花が咲いていた、夜空に月が、星がこんなに輝いていた、こんな公園があったのか、といろいろなことに気づきますよ、と教えられているような気がします。