初体験

日本人の死に時より 医師の書 

クリニックに外来患者がいないとき、私はよくデイケア室に行って、老人たちと話しをしました。
そこでよく耳にしたのが、
「こんなことになるとは思わなんだ・・・」
という嘆きです。

腰痛と膝の変形に悩む老人が、歩行器にすがりながら顔をしかめます。
「若いときから、山歩きで鍛えてきたのに、こんなに腰や膝がいかれるとは思わなんだ・・」
また別の男性は
「歳は取りたくないもんですな。引退したら司馬遼太郎の全集を読もうと思っていたのに、目がかすんでちっとも読めん・・。まさか、こんなことになるとはなあ・・・」

私からすれば、それらの障害はごくありふれた老化現象のように思えました。
歳をとれば、痛いところも出てくるだろうし、目も悪くなるでしょう。
なのに、あの深い嘆きようは何なのか。
それはどうやら、老いというものが誰にとっても初体験だからでしょうか。
70歳になった人も、みんな初めて70歳になります。
80歳も90歳も同じです。