内面を耕して孤独を楽しむ

今日は誰からも連絡が来なかったし、かといってこちらから連絡したところで、みんなにはみんなの生活があるし、テレビを見ていても、スマホをいじっても気休めにしかならない、と感じている方もいらっしゃるでしょう。
さらに夜になると、「世界には自分しかいない」ような気がして、自分の生存を確認したくて、誰かと連絡を取りたくなるけれど思いとどまる、というようなこともあるでしょう。

どれだけ寂しくて、人恋しくて、話し相手が欲しいからといって、いざ電話で話しをしてみると、話がうまくかみ合わないことが多いことに気づきます。
それは自分が本当に興味のあることと、相手の考えとが折り合わないために、結局自分が相手に話しを合わせることになったり、気を使ったりすることになるからです。

ドイツの哲学者ショーペンハウアーは「そこまでして、他人と一緒にいたいのですか? それで本当に、孤独を紛らわせていることになっているのですか?」と言いました。
人間には本来、他人と一緒にいたい本能や衝動が備わっていますが、それでも「他人といる意味と期待が裏切られること」は、経験上誰でも知っているのですから、そういう衝動は適切にコントロールした方が賢いと言います。

それでも人間は群れたがります。
ショーペンハウアーは、それは「自分がないから」「自分の内面が貧困だから」と言います。
さらに厳しく「くだらぬ人間は皆、気の毒なくらい社交好きだ!」とまで言い切ります。

ショーペンハウアーの尊敬するアリストテレスは「幸福は自己に満足する人のものである」といいました。
「幸福の基本は、自分の外に何も期待せず、自分の内にあるもので楽しむことである」
「自分自身だけをあてにしてきた人間、自分自身が「一切合切」でありうる人間が最も幸せだと結論することができる」ということなのでしょう。

「自分の内面を深く耕して、早くから孤独になじみ、孤独を愛するところまで来た人は、金鉱を手に入れたようなもの」と締めくくっています。