便所掃除

クレーン会社タダノの多田野社長さんが、創業者の父親から早く実権を譲渡されたため、まだ若かった多田野さんが会社を経営することになりました。
しかし社員は、若い多田野さんについてきてはくれず、ほとほと困ってしまいました。
そんな多田野さんが、京都の修養団体、一燈園の創立者の講演を聞きに行きました。
すると、そこで手渡されたのはバケツと雑巾でした。

「掃除でもしろ?」ということなのかなと思っていると、そうではなく、これを持って家々を回り「お宅の便所を掃除させてください!」と頼んでみなさいと言うのです。

指示に従って、多田野さんは家々を回り頼んでみましたが、どうにも許可がもらえません。
「うちは、きれいにしているから結構ですわ!」
「今、忙しいのでまたにしてや!」
断られるのはいい方で、モノも言わずにドアを閉められたり「よそに行ってや!」と、ケンもほろに断られる始末です。

百軒回っても、百二十軒回っても断られるばかり、このままでは、1件も許可をいただけないのではと、情けなくなってきました。
そして、農家を訪ねたとき、とうとう土下座をして頼んでみました。
地に額をこすりつける真剣な様に、その家の主婦は心を打たれて、とうとう便所掃除を許可してくれました。

便所を掃除しながら多田野さんは、こぼれる涙をどうすることもできなかったといいます。
それまでは、社員は監視し管理しなければ働かないと思っていましたが、その間違いに気がつきました。
社員を管理するのではなく、「働いていただいているんだ・・」という気持ちが大切なことに気づいたのです。

研修から帰った多田野さんは、様々な改革を実行しました。
昭和30年代では当たり前だった日給制を月給制に、週休2日制も初めて導入しました。
そうした諸政策に、社員も多田野さんの誠実さを感じたようで、生産性の高い会社に変貌していったということです。