何のために生きる

多くの人は善人ですから「周りの人にも善かれ」、「自分もそれなりに楽しく」というように生きているのではないでしょうか。
そしていつの間にか5年、10年、20年と時が流れていきます。
ふと、過去を振り返ります。
たとえば第一志望の大学に入り、自分が望む会社に入って管理職になり、がんばってきたとします。
望むような収入も得て、理想的な人生を送っているはずなのに、なぜか突然「虚無感」に襲われる時があります。
それは、いつの間にか自分が人生の終わりを意識する年齢になり、「自分は何のために生きているのだろう?」という根源的な疑問と対峙するからです。

そもそも「何のために生きるのか?」を教えてくれる人はいません。
友人や家族に聞いても、おそらく誰も答えられないかもしれません。
今まで人生を「損得勘定」で生きてきた場合、人に善かれと思ってした行為も、実は頭の中では計算が働いています。
「こうしておけば、相手も自分を悪く思わないだろう・・」のように。

高速のベルコンベアーの上で働き、生きているような場合、私たちはそこから降りる勇気を失いがちです。
ちょっとした時間に「人生を考える」余裕すらありません。
社会という道程から振り落とされる不安や恐怖があるからです。

でも、いつかは嫌でもベルトコンベアから降りるときがきます。
その前に「小さな損得勘定」に囚われないで生きることができたら、心に余裕や落ち着きが出てきます。
そのためにも普段から、「わたしは何のために生きているのだろう?」という問いに、自分なりの答えを探そうと努力することは肝要なことだと思います。

私は老齢年金をもらえる年齢になっても、私を頼ってくださる人たちのために働ける喜びをかみしめています。
そのためには、いろいろな分野の勉強をすることが必要ですし、今は学ぶことがとても楽しいと思えます。
みなさんも、自分なりの「生きる目的」を導きだせれば、これからの人生を自信をもって生きていけると思います。