今日を最後の1日と考えて生きる

いつでも死ねる 帯津良一

私の心を揺さぶった決定的な言葉があります。
映画「おくりびと」の中の一節です。
「末期患者には、激励は酷で、善意は悲しい。説法も言葉もいらない。きれいな青空のような瞳をした、透き通った風のような人が傍にいるだけでいい」
これにはしびれました。
以来私は、「きれいな青空のような瞳をした、透き通ったような人」になろうと決めたし、スタッフにも「これを目指すぞ!」と発破をかけてきました。

しかし、そのためには具体的にどうしたらいいか、ここが難しい所ですが、私は今日を最後の日と思って生きればいいのではないかと閃きました。
何をするにも、あと僅かな時間しか残されていないことを真剣に意識します。
そうすることで、一瞬一瞬の景色、1つの1つの行動が、明日があると考えて生きているときとは、全く違って感じられてくるのです。
それを続けることで、患者さんたちよりも1歩だけ死に近い所に立てるのではないだろうかと、私は思いました。
そうすれば、患者さんたちは、先に行く私の姿が視界に入りますから、不安や恐怖も和らぐのではないでしょうか。
真っ暗な道も、前を行く人がいると安心できるものです。

今日を最後の日と考えて生きようというのは、最初は患者さんのために始めたことです。
しかし、長く続けてみると、これこそ、自らの生命エネルギーを高める最高の養生ではないかと思えてきました。