今日は自分の生を生きる最初の日

「死にたい」と訴える人は、自分が死ぬ夢をよく見るという話しをしました。
それは「今の自分を破壊して、生まれ変わりたい」という願望で、「死にたい」と訴えるのは、肉体的に死にたいということではなく、社会的に死にたいということ、つまり、「生まれ変わりたい」ということを訴えているということでした。

そうであるならば、肉体的に死ぬ「自殺」を思いとどまり、社会的に死ぬ、つまり「生まれ変わろう」ということは考えられないのでしょうか。
「自分はいっぺん死んだのだ! どうせ死ぬんだったら、やれることだけはやってみよう!」と開き直れればいいのですが。
「人は死を本気で決意したときこそ、人生の残り時間を生き始める」ということです。

作家の石川淳は、「実は私は時々、深夜の床を蹴って立ち上がり、突然死のうと叫ぶことがあり、この死のうという言葉の活力が一刹那に私の息を吹き返させるのであろう」と言っています。
どうしても死にたくなったら「死のう!」と叫んで、深夜の布団から飛び上がってみる。
そのとき、あなたの「死のう」という言葉の語気に、言葉の意味とは裏腹に「生きること」へのエネルギーが息を吹き返すのだと言っています。

私たちは「今日、真に自分の生を生きる最初の日に立っている」のです。