不孝の中に幸せの種が

不孝の中にこそ、キラッと光る幸せの種が落ちています。
真の幸福とは不幸の中にこそ存在するもので、不幸というものを体験せずに幸福になることはできません。
当たり前のことが当たり前でないと感じることができるのが、不幸の素晴らしさです。
胃が痛い、頭が痛い、熱がある、だるいという不快な体験をして、健康のありがたさが分かります。
饅頭1つで幸せと感じることができるのは、辛い体験なしではありえません。

良寛さんは、その生をすべての面でゼロかマイナスに置くことによって、少しのプラスでも幸福を感じられるような人生を生きていたようです。
それに対して現代人の私たちは、プラスの上にプラスを上乗せすることが幸福な生き方であると信じています。
すべてが足し算なので、少しのマイナスでも不幸に感じてしまうのです。

さらに私たちは、自分の成功を他の人の成功と比較することで判断しています。
成功は人より大きくなければ意味がなく、従って常に人を上回ろうという意識が働きます。
それが、「成功するだけではだめだ。他の人が失敗してくれなければ」となってしまうのです。