一切の生きとし生けるもの

いのちの言葉 作家 高史明

私は、自分の子どもが死んだから、悲しくて念仏を称えていたわけです。
しかし、親鸞聖人はそのような念仏は称えたことがないとおっしゃる。
そして、その理由を尋ねていくと「一切の生きとし生けるものは、いのちとしてはみな親兄弟に等しい」とおっしゃるわけです。

供養のための念仏は、悲しみをただ自分の癒しの種にしていることと同じです。
念仏とは、その自分を覆して、一切の生きとし生けるものが、いのちとしてはみな親兄弟に等しいという、いのちの大地を開くものだといいます。
その、いのちの大地に向かって、あなた自身の歩みを進めなさい、と言われていることに気がついたのです。