ジョン万次郎 4

危険を冒して琉球に上陸した万次郎たちは、処刑を免れた。
鎖国政策を取っていた日本も、世界の動きを無視できなくなっていたからである。
歴史の流れが、万次郎たちを救ったのだ。

幕府も大名は、万次郎から海外の情報を得ようとした。
そのため1年半も各地で拘束され、ようやく自宅に帰れたのは万次郎25歳、漂流してから12年目であった。
年老いて体が小さくなった母親は、感激にむせんで、目に手ぬぐいを押し当てたままだった。
万次郎も「ただいま帰りました。母もお達者で何よりです・・・」というのが精いっぱいであった。

それから8か月後、黒船が来航した。
アメリカは日本に開国をせまった。
慌てた幕府は、人材を求めた。
英語はもとより、航海術に秀で、アメリカ事情に詳しい万次郎は幕府の役人に登用された。
処刑される身であった者が、今や日本の将来を担う存在になったのである。