ジョン万次郎 2

五か月後、食料の補給のためにハワイに寄港する。
救助された五人は、ここで船から降りた。
しかし、万次郎だけは再び乗船しアメリカ本土に行くことにした。
彼を見込んだ船長の願いだったという。

万次郎はマサチューセッツ州の船長の自宅で共に生活することになった。
船長は町の人々に「彼は日本人だ。私の息子だ」と言って大声で紹介してくれた。
また万次郎を小学校に通わせ基礎から勉強をさせた。
万次郎はそんな船長に、父親のような慈愛を感じていた。
その後専門学校に進み、英語・文学・歴史・数学・測量術・航海術などを学んだ。
いつもクラスのトップであり、優秀な成績で卒業した。

でも、心の内で万次郎はずっと母に会いたいと思っていた。
一人の時は、漂流していた時の着物を取り出し、母を偲び涙にくれることもあった。
航海術を学べば、日本に帰ることができるかもしれない。
そう思うと、人一倍勉学に力が入ったのであった。

しかし、当時の日本には「鎖国令」が出ていた。
外国に住んだ日本人が帰国すれば「死罪」が待っていたのである。
それを思うと、よけいに悲しさが増すのであった。