ガン哲学外来

ガン哲学外来というのがあるそうです。
そこに外来で来る人の中は、病気になったことで仕事を干されたり、職場を変えられたりして、生きる目的を失った人たちがいます。
哲学外来の医師は言います。
「仕事は暇の方がいんです。どんな仕事でも、衣食住が足りていればいんじゃないですか。生活していけるだけの給料がいただければいいのですよ」
すると患者さんは言います。
「それでは、私の存在意義はありません。昔と同じように働きたいのです。もうあの時の自分には戻れないのでしょうか?」

病気になる前の自分を最高の自分と思い、今の自分と比較してしまうのです。
医師は言います。
「人として一喜一憂してしまうのは、人生の役割が見つかっていないからです。自分の役割や使命が見つかれば人と比較することは無くなります」
「死」から人生を見つめ直すと、人との比較なんてどうでもいいことなのです。あの人よりお金がある、あの人より有名になった、あの人より偉くなった、これらのことが「死」を目前にして、どれほどの価値があるのでしょうか」

「死」を目前にした場合、大事なことは「自分以外のものに関心を持つこと」だと言います。
私たちの人生は、最後の5年間をどう生きたかで決まります。
ガンになっても生きる希望を捨てない。
病気にもかかわらず、自分の事よりも相手のことを思いやるようにします。
自分の生涯を1つのモデルとして提供するのです。
「あの時、あの人はガンの末期にもかかわらず、他人のために生きていた。だから自分も、もう少し頑張ってみよう」と思える人が必ず出てきます。
自分に生き方ひとつで、誰かを勇気づけられるのです。