エジソン 4

ここでエジソンに新たな苦悩が訪れる。
耳が聞こえなくなってしまったのである。
幼い時の熱病の後遺症が悪化したのだ。
貧乏な家に生まれ、学校は3か月で退学し、今また体の不自由に直面してしまった。
しかし彼は、いかなるハンディも乗り越えて、自分の夢を実現していったのだ。

人はエジソンを”天才”と呼んだ。
しかしエジソンはこれを好まず「天才とは、99%の努力と1%の閃きである」と言っている。
人知れぬ努力の結晶が、エジソンの生み出した発明であった。

晩年エジソンは、こう語っている。
「今日の私があるのは、母のおかげです。母はとても誠実で、私を信頼してくれていましたから、私は母のために生きようと思いました。母だけは、がっかりさせるわけにはいかないと思ったのです」

母親の大きな愛情と子に対する絶大な信頼は、いかなる苦難をも乗り越える勇気を子供に与えるのでした。