イメージトレーニング

いのちの言葉 山折哲雄 宗教学者

老・病と話してきたわけですが、やはり最大の問題は、いかに死ぬかということです。
私はかねてから、死ぬときはあるイメージを抱きながら、この世を去りたいと思っています。
たとえば、F1レーサーの世界チャンピオンとして知られたアイルトン・セナは、レースの直前に、自分がどのようにコースをまわるか、車の軌跡を全部イメージするというんですね。
そのイメージトレーニングに成功したとき、レースに勝つといっていました。

かつては、死にゆく人も、死んでいった先にどのような世界がるかをきちんとイメージして、死の床につきました。
仏教なら浄土という考え方、キリスト教においては天国でしょう。
そのイメージを心に抱くことができた人は、最期の死の床で比較的安らかにこの世からあの世へと自分の体を移していくことができるようです。
イメージトレーニングができる人は、死の恐怖から比較的に免れていたのではないでしょうか。

良寛さんの、こんな歌があります。
散る桜 残る桜も散る桜
散っていく桜は、人間の終末を象徴しています。
この世に踏みとどまって咲き続けている桜もあります。
けれど、その桜もやがて散っていくというのです。
このようなイメージを抱きながら、最期の時間を過ごす。
そこに、日本人の死に対する一種の美意識のようなものが輝き出てると思いますね。