つらさを糧に今がある

人のご縁ででっかく生きろ 中村文昭

「産んだのは私の責任や。こんあに人に迷惑をかけて、こんなに親を裏切る子どもを産んで育てたのは私の責任やから、私がおまえを殺す。奥で寝ているお父さんも殺して私も死ぬ!」
これにはビビッて、私はとっさに立ち上がりました。
「なんや、私に向かってくるのんか。おまんには負けん。仕返しできるものなら、してみろ!」
母は包丁を投げ捨てると、全身で僕に体当たりをしてきました。
何も言えずにパジャマ姿で立ちすくんでいる僕に、母は泣きながら何十発もピンタを張り続けました。
挙句の果てには、真夜中だというのに祖父のお墓まで連れていかれて、先祖のみんなに謝れと言われ、出向こうの神社にウソはつかんと誓えと言われました。

とことんやって帰ってきたときには、母は僕が訳もなく悪さをするはずがないと思ったのでしょうか、初めて
「ほんとうの心の底に何かあるのと違うか?」
と言ってくれたのです。
僕の意地もそこまででした。
「僕は、この13か月間、誰とも口を聞いてないんや・・・」
と全部ぶちまけたのです。

翌朝、起きると母はいませんでした。
僕より早く学校へ行っていたのです。
先生たちに、息子が悪いのは確かだが、13カ月もの間、クラス全員に無視されていたことを、担任として知らなかったのかと聞きに行ってくれたのです。
先生が知らなかったということはなかったと思います。
母が訴えに行っても、状況は何も変わりませんでしたから。

僕たちが仲直りできたのは、先輩たちのおかげでした。
野球部の先輩が、バラバラの下級生を見て心配して、そんなことでどうすると、みんなを集めて怒ってくれたのです。
しかし、一応のわだかまりはなくなったものの、僕たちのぎくしゃくした関係は、完全には修復できませんでした。

僕が、遠い高校を選んで下宿することに決めたのは、このつらい時期が遠因になっているような気がします。
知った顔がまったくない高校の入学式、僕は
「どうやってクラスの仲間と接していこうか?」
「絶対に嫌われない方法はあるんやろうか?」
そう考えていた気がします。
僕のコミュニケーション能力のスタートラインは、ここにあるのかもしれません。