せめて子供だけはお腹一杯たべさせてあげたい

60歳男性の投稿

両親がどのような事情で別れたのかは知りません。
小学校2年生のころか、母に手を引かれ、田舎道をバス亭まで歩いていく姿がかすかに思い浮かびます。
母の背には生まれて間もない弟が、ねんねこ半纏の中で丸くなっていました。
私が歩くたび、背後でカタカタと学用品のかすかな音、聞こえるのはそれだけです。

母は紡績工場で働き始めましたが、肺病に罹り入院。
そして・・・亡くなりました。
父は一度も顔を見せず、寂しい野辺送りでした。
木の箱に白い布をかけ、借りてきたリヤカーに乗せて引いていきます。
でこぼこ道に差し掛かると、ごとごとと箱が動いて、いまにも母が箱の中から「ユキ(私)、ピコ(弟)」と声を出して呼ぶような気がしたものでした。

なぜ身体が弱いのに無理して、埃の多い紡績工場で、朝から夜まで働きづめに働いていたのでしょうか。
まだ当時は食糧難が続き、どこの家庭でも毎日の食生活はギリギリでした。
そんな中で、せめて子供だけは人並みにお腹一杯ご飯を食べさせてやろう、そんな強い母の気持ちが今だから分かるのです。

短い生を終えた母の心のうちが、悲しいほどに分かる歳になりました。