この子と一緒に死ねば本望だ

親のこころより抜粋 愛知県66歳女性の投稿

戦争中のことです。
空襲警報が発令され、防空壕への避難命令が出ました。
しかし、幼い私と母の姿が見えないので、班長さんが私の家まで迎えに来ました。
すると母は、高熱に浮かされている私の上に、覆いかぶさっていたのです。
理由を尋ねると母は、
「こんなに熱の高い子どもを、冷たい防空壕へ連れていくと死んでしまう。
ここに爆弾が落ちても死んでしまう。
同じ死ぬのであれば、せめて、暖かい布団の中で死なせてやりたい。
爆弾が落ちても、その衝撃を、この子より先に、私の背中で受けてやりたい。
だから、覆いかぶさっているのだ・・・」と答えました。
いくら避難をすすめても、母は
「この子と一緒に死ねば本望だ」
といって、首を縦に振らなかったそうです。

小さい時のことなので、私には記憶がありません。
母も、生前、一度も口にしませんでした。
母が逝ってから、母と親しかったおばさんから聞いて、初めて知ったのです。
私は、母の大きな愛に涙を流しました。
「お母さん、ありがとう」
私の声が、母にも届きますように・・・。