「空」の世界

仮に自分が目も見えず、耳も聞こえず、味わうこともできず、感触もなかったら,自分はどのように感じるだろうか、想像してみます。
これが、仏教でいう「空」の感覚だといいます。

物質を構成する最小の粒子である「原子」は、原子核とその周りを飛び回るいくつかの電子でできています。
例えば水の場合は、水素の原子2個と酸素の原子1個の水の分子が集まってできています。
原子の大きさを400メートルとすると、原子核の大きさはピンポン玉くらいにしかすぎません。
つまり原子の中はスカスカで何もないように見えるのです。
何もないように見える原子で、すべての物質は構成されているのです。

人の命は肉親と繋がっているばかりでなく、食べ物も水も、宇宙にあるすべての物質は原子から成り立っています。
あらゆる命はあらゆる物質と溶け合っているので、この世の全てが巨大な一つの生命といえるわけです。
この巨大な命も、中身はスカスカの原子で成り立っているので、この世の全てが「空」なのです。
般若心経の中に「形あるものは何もないことと同じ」「形あるものがそのままで何もない」「何もないことが、形あるものを現出している」というような意味の文章があります。
一見矛盾しているようですが、原子の世界から見ると納得できるのです。