「私」って何?

「私」とか「自分」だと思っているものは、一体どこにいるのでしょうか?
目を閉じて自分を見つめ想像してみますが、「私」は何者なのか余計に分からなくなります。
身体をさすってみて、これが「私」なのかな?と思います。そうすると「私」は「身体」ということになってしまいます。
それとも「心」と「身体」を含めた全部が「私」なのでしょうか。
では「心」は一体どこにあるのでしょう?

「私」はいつも「私」のことを考えているのに、「私」がどこにあるのか分かりません。
「私」を探そうと、目を閉じて気持ちを落ち着けてみますが、「私」を探すどころか、「私」とは別の「私」は勝手におしゃべりをしているだけで、「私」は、おしゃべりしている「私」を黙らせることすらできないことに気がつきます。

そもそも「私の心」と言った時点で「心」を「私」の所有物と見なしています。
「私」の「心」と見なしているということは、そもそも「心」は「私」の外にあるものということになります。
「私」の外にあるから、わざわざ「私の心」とか「私の身体」というように、「私」のものと主張せざるを得ないのかもしれません。

私たちが毎日こんなに意識して、大事に思っている「私」と思っているものですら、その正体を掴むことはできません。
もしかしたら、「私」というものはどこにも無く、この世のものは単体で存在しているのではなく、お互いに助け合って存在しているのではないでしょうか。
こう言っている間に、私の原子は飛び回って、目の前のあなたの所に行っているかもしれませんし・・・。