「やりたいこと」「やるべきこと」

「手紙屋」 喜多川泰

人は無意識のうちに、自分の行動を「やりたいこと」と「やるべきこと」に振り分けて動いています。
この時一番の問題は、人は「やりたい」と思っていることに対しては「快・楽・喜び」を、「やるべき」と判断していることに対しては、「不快・退屈・苦痛」を感じてしまうということです。
たとえ同じことをしていたとしてもです。
やりたいと思って始めた野球やピアノなどの習い事が、やるべきことに変わった途端、苦痛になってしまったりすることを考えると、よく分かると思います。

小さい子どもは、ほとんど一日中、やりたいことだけをやって過ごします。
ところが大人になるにしたがって、一日の大半を「やるべきこと」に費やすような生き方ができるようになります。
毎朝決まった時間に会社に出かけ、終電近くに帰宅するような毎日を受け入れることができるようになるわけです。

では、どうして大人になると、「やるべきこと」に一日の大半を使って生きていくことができるのでしょうか?
彼らを動かしているものは、将来に対する不安です。
今日働かなければ、来月の収入がなくなるという不安。
勝手に休んだり遅刻したりすると、信用をなくして会社にいられなくなるという不安。
そうなると家族が路頭に迷ってしまうという不安。
様々な不安が、人間に「やるべきこと」をやらせる原動力になっているのです。